小禄墓

去る沖縄戦では数多くの人々が亡くなった激戦の地「嘉数高台」の北側には、中城村境にある琉球大学構内より延々と4.5kmも長く続き、国道58号線をこえて西海岸へと流れる比屋良川があります。 市内でも数少ない緑豊かなその川筋の…

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我如古ヒージャーガー

我如古ヒージャーガーは明治25年(1892)、部落の新末吉と上間家の優れた石工二人の指導により、部落民総出での半年の月日をかけて現在の石造りに仕上げたと伝えます。 この湧水の素晴らしさは、やはり明治22年頃に造られた喜友…

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大謝名メーヌカー

大謝名メーヌカーは、市立大謝名小学校の裏門側にあり、地下水が流れ出る洞穴にヤギのあごひげのような“樋”をかけて湧き水を導く形式の湧泉です。 大謝名地区では、上水道が完備するごく最近まで、日頃の生活用水はもちろん、新年を迎…

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森の川

沖縄県が「琉球国」と呼ばれていた1372年、沖縄中部地域(中山)の王として公式に初めて中国明朝と外交を開いた人が、碑文に記される私たち郷土の偉人察度です。 彼は、この清泉「森の川」で出会った貧しい奥間大親と天女の間に生ま…

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喜友名の石獅子群

喜友名は、集落全体が碁盤の形の様に規則正しく区画整理された古き時代の計画集落のひとつです。 そこには、あたかも集落を取り囲むように石彫りのシーサー(獅子像)があり、部落や屋敷内に他から厄や忌み嫌われるものが入らないように…

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普天満宮

普天満宮(ふてんまぐう)とは、沖縄県宜野湾市普天間にある神社で、沖縄県中部最大の聖地として参拝者が多い神社です。 また、沖縄本島において、中部はもとより北部の建築関係諸祈願、結び(諸願成就)の神様として信仰されているのも…

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