野嵩石畳道

野嵩石畳道は、近世首里王府時代に整備された首里と間切(現在の市町村に相当)を結ぶ公道、いわゆる「宿道」に築かれたものです。

古老によると、この石畳道は今から五百年程前の護佐丸の時代に築かれたとも伝えられています。

すなわち、「護佐丸・阿麻和利の乱(1458年)」のときに、阿麻和利の軍勢により敗れた護佐丸の妻子が、その石畳道を登って逃げるとき、追っ手に射かけられた弓矢により彼女の袖が引き離されたことをもじって、「袖離れ坂(スディバナビラ)」と呼ばれます。また、沖縄民謡『挽物細工』の語りにも、この急坂に立ち周辺を見下ろす歌詞があり、中城村一帯の田園風景が一望に見渡せる格好の名勝になっています。